直江兼続の生涯

直江兼続の生涯にはいくつかのターニングポイントがあります。
そのポイントをご説明します。


ターニングポイント(1)
直江兼続 6才のとき

兼続の生来の利発さがの目に止まり景勝の近習に推薦したのは仙桃院であり、
その仙桃院に認められ、勝の小姓として仕えることになりました。

ターニングポイント(2)
直江兼続 16才のとき
謙信の養子となった景勝とともに春日城(上越市)で謙信の「義」の薫陶を受けたこともあって、
利によって動く戦乱の世にありながら「義」を尊び重んずる気骨に溢れた若者に成長しました。

ターニングポイント(3)
直江兼続 19才のとき
「御館の乱」は上杉景勝・直江兼続側の勝利で一応の終焉を迎えた。
その原動力となった直江兼続をしたって同世代を中心とする若手が自然に集まってきたのがこの頃です。

ターニングポイント(4)
直江兼続 21才のとき
上杉家重臣・直江信綱の妻であったお船と結婚します。
直江家を継いだことで、上杉家の重鎮となり、
主君景勝とともに謙信の教えを守り、義を重んずる治世を行った。

ターニングポイント(5)
直江兼続 28才のとき
兼続は豊臣秀吉に認められるも景勝に仕える立場を選び、
秀吉によって景勝が会津に移封されたのに伴い、兼続も米沢城主となる。

ターニングポイント(6)
直江兼続 40才のとき
徳川家康に謀反の疑いをかけられた際に、挑戦状「直江状」を書き送る。
その後も、上杉家の治世を支え続けた。